被害者の実情はさまざまだ。
今なお深い傷跡がそれぞれの人々に残っている。
「テロを起こした人間が喜ぶような世界であってはならない」はもちろんだが、それとともにそのようなカルトテロ集団に多くの若者が吸収されて破壊ツールにされる狂った社会とその閉塞感について見直してみる必要がある。
オウムが発生した80年代末期、消費税なる中低所得者直撃の生活費を人質に取った卑劣税制で貧富格差が一生逆転できない鉄の壁として固定化した。
才能や資質、いかなる努力によっても這い上がれない社会の固定化、それは非正規労働者が働く人の半数まで拡大されてしまった現代にこそ、その落とし穴があると見られる。
さらに、安倍のみクスなるイカサマ詐欺と安倍周囲に見るようなコネ至上社会の犠牲者として勤勉で実力がありながら社会からドロップアウトさせられる若者たちの怨念の引き受け先がオウムの再来でない保証はどこにもない。
願わくはときの政権が誰のためだかわからない失政を改め、国民生活に寄与する物価安を導き出すための円高内需主導政策に切り替えることだが、政権交代以外にその契機はない。
(140)